2005年 06月 29日
昔のことですから、真相はわかりませんが・・・
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前田正甫はそんなにいい殿様ではなかったそうです
こんな話も残っています。
昔のことですから、すべてが本当のことかどうかはわかりません。
政治家の評価は一面ではできませんからね・・・。
こんな話も残っています。
・延宝6年(1678年)、農民の妻を略奪。「妻を帰して欲しい」と訴頼した一族を皆殺し(「婦負郡本法寺過去帳」)
・延宝7年(1679年)、飢餓に困窮する領民を尻目に多額の費用で遊覧船建造(「吉川随筆」)
・元禄14年(1701年)、希代の大洪水で多くの領民が家屋を損失。この状況下において、江戸下足敷の普請を強行。多額の祝儀費用による盛大な祝宴を催す(「吉川随筆」)
・元禄14年、あまりの財政難から藩札発行。しかし、宝永元年(1704年)、3年続きの大洪水による大飢饉の最中に藩札引替の差し止めを通達。藩内に大恐慌を引き起こす・・。
この他にも、“江戸大地震で秘蔵の道具類が焼失した責任として、江戸屋敷責任者を処刑(「吉川随筆」)”等。挙げ句の果てに、自らの浪費により財政を圧迫し続けた借金大王という記録もある。
ネタは「拾いもん漂着ニュース」よりいただきました
昔のことですから、すべてが本当のことかどうかはわかりません。
政治家の評価は一面ではできませんからね・・・。
by douzou008
| 2005-06-29 15:16